top of page

【高校生交換留学体験談】H.Y.さん(エストニア派遣)Part.6

更新日:6月20日

 EIL高校生交換留学プログラムの2020年夏派遣プログラムは、新型コロナウイルスの感染状況を鑑み、原則としてすべて中止となりましたが、一部プログラム参加の強い希望をいただいた生徒については、派遣先国の状況も見ながらプログラムを催行しています。  そのうちのお1人がエストニア派遣のH.Y.さんです。実はエストニア派遣プログラムは2020年派遣から募集を開始し、H.Y.さんが記念すべき第一号です。「エストニア派遣第一号として、自身の留学体験を多くの方に伝えたい!」との思いで、自ら体験レポートの執筆を申し出てくれました。

 では、第6弾のレポートをお楽しみください♪

 

 エストニアでの生活は早くも7か月目に入りました。1年前のこの時期は、コロナ感染の拡大によりバタバタと寮の片付けを行い、実家に帰省し長い春休みを迎えた時期でした。あの頃はコロナがこんなにも恐ろしいものであることを知らず、まさかエストニアという異国の地でロックダウンや、再び休校を経験することを想像する余地はありませんでした。2020年度の4月からの12か月間で学校に通えたのはちょうど半分となり、もちろんマイナスなことは多くありましたが、自分と向き合う時間が増えたことにより、将来のことを考え、何不自由なく生活できていたことへの感謝を改めて感じるなど、得ることも多かった期間となりました。



エストニア語A2検定への挑戦

 3か月目頃から、学校のエストニア語の授業や家族との会話だけではなく、エストニア語の教本を使い本格的に、文法の勉強を始めていました。夜に、単元ごとのテストの答え合わせをホストマザーと一緒にするために、日中に問題を解くというサイクルで勉強を進めていました。その時期に、政府が行っているエストニア語検定の存在を知り、何か目に見える形で成果を出したいと思ったため、挑戦することにしました。

 試験は、リスニング、ライティング、スピーキング、リーディング(読解、文法など)の4つに分かれおり、試験2週間前に説明会とプレテストが行われました。その時の私の正答率は70%ほどでした。長文のリスニング問題が難しく感じたので、そのことをマザーに相談し、夜に追加で本の聞き取り問題と、リーディングの練習を始めました。



 そして迎えた試験当日、A2テストの受験者は合計約110人ほどで、そのうち80%はロシア人。さらに、私以外の高校生で受験している人、アジア人で受験している人はおらず、数人に話を聞いたところエストニア語の勉強歴は皆1年以上でした。プレテスト時のリスニングで速いと感じたものが、本番ではゆっくり感じるほどリスニング力が向上していたりと、短期間でここまで語学力を伸ばせたことは自分の自信へとつながりました。60%以上で合格なのですが、結果は80%で無事合格することができました。テストを受けて良かった点が3つあります。それは、語学力の向上、この学習期間を通じてホストファミリーとの距離がさらに近くなったこと、そして受験したことが一つの会話の話題となり、話が広がることです。

 最近で一番印象に残っていることはグランピング先で出会った人とマザーとの会話の中で、試験の話題を出してくれたため、私も会話に混じり、話すことができたことです。その会話の輪は広がっていき、自分の語学力を褒めてくださるだけではなく、日本に旅行したことのある人と出会うことができ、日本のことを素晴らしい国と言ってもらえたので、誇らしい気持ちになりました。日本に来ている留学生が、頑張って日本語で話すと好感度が生まれるのと同様、特にエストニアでは英語で会話は十分成り立ちますが、エストニア語で話すからこそ、心の距離が近くなると感じました。

 エストニアはロシアを含め複数の国に占領されて、自国にもかかわらず自由に暮らすことが許されていませんでした。そんな中でも失われなかったエストニア語を、国民はとても大切にしています。初めてエストニア語で書かれた本が出版された日に因んで、3月14日はエストニア語の日に制定されているほどです。


晴れの日の散歩

 長く寒い冬も終わり、この日は雲一つない快晴だったので、ファミリーと、海辺のランニングコース兼ビーチとカドリオグル公園に行ってきました。タリン市内にあり、家から車で約15分、旧市街の近くに位置します。夏のこのビーチは、日光浴をする人や海水浴を楽しむ人でいっぱいのようです。タリンの夏は日本の比べとても涼しく21℃程度です。(私は、その気温で海水浴は寒いのではないか、、、と思いますが、体感温度が私たちとは違うようです笑)

 下の写真はルサルカ像と呼ばれるもので、1893年にサンクトペテルブルクからヘルシンキ(当時事実上のロシア領)に向かっていた軍艦ルサルカ号が沈没し、乗員177人全員が犠牲になった事故を祈念して、1902年に立てられたエストニア初の記念碑です。ルサルカ像の持つロシア正教の十字架は事故現場の方角を指しています。(記念碑に記載されている文字はロシア語です)



 宮殿を取り囲むカトリオルグ公園は、市民の憩いの地だけではなく、大統領官邸や、クム国立美術館がある大切な場所です。

 まず、カドリオルグ宮殿について。この宮殿はロシアの支配下にある1718年にロシアのピョートル大帝が建設したもので、昔は夏の離宮として、今は美術品の所蔵の場所として使われています。日本とはまた異なる色遣いや庭園のあり方に、歴史と美術の違いを感じました。


 次に、大統領官邸について。エストニアは女性が大統領と首相を務める唯一の国です。ケルスティ大統領は、私の通う学校の出身であることを友達から聞き、とても驚きました。前大統領は官邸に家族と住んでいた一方で、彼女はここには住まず、仕事場として使用しているようです。


 クム美術館について。2006年に完成したエストニア最大の7階建て美術館で、建物そのものがアートのようでした。古代エジプトについて、旧ソビエト時代の美術品、現代美術品の展示など幅広い物が展示されている印象を受けました。


 この自然豊かな公園内には、美味しいパン屋や日本庭園もあり、晴れの日の散歩に最高の場所です。まだまだ気温が2ケタ台に行くことはなく寒いですが、本当の春を迎えたときにまた行きたいと思います。


最後に

 最後に、エストニアでは3月にコロナ感染拡大のピークを迎え、3月12日からロックダウンが始まりました。人口132.9万人(東京は因みに927万人)にも関わらず、3月中は1000人を下回る日がほとんどなく、2000人近くの感染者を記録してしまう日も多々ありました。感染者が減少してくれることを祈りながら、今できることをしていこうと思います。


(文章・写真 2020年エストニア派遣H.Y.さん)

 

2020年エストニア派遣H.Y.さんの留学体験記はコチラ。


EIL高校生交換留学プログラムでは派遣生を募集中です。

資料請求・説明会のお申し込みはこちらから!

Comments


  • Facebookの社会的なアイコン
  • Instagram

​EILの正式名称は「Experiment in Intertnational Living」このサイトは、EILのプログラムを通じて国際交流体験をした人たちを「Experimenters」と称し、その体験やその後にどう活かされたかを紹介するEILのウェブマガジンです。

bottom of page