笑顔が架ける世界への橋 樋口麻美さん(2010年オーストラリア派遣)

 これまでに数多くの人たちが高校生交換留学プログラムに参加してきました。OB/OGたちの進路やキャリアは多岐に渡っており、それぞれの分野で活躍し、社会に貢献しています。


 今回インタビューを行ったのは、2010年にオーストラリア派遣プログラムに参加された樋口麻美さんです。樋口さんはアジア諸国の社会問題解決に取り組む社会起業家と日本企業のマッチングのコーディネートと、大学生向けに東南アジアの社会起業家からSDGsや社会問題を学ぶSDGsインターンシップを行うソーシャルマッチ株式会社の共同創業者です。今回樋口さんに高校時代の留学経験がどのようにその後の歩みに影響を与えたのか伺いました。

 

英語は苦手だけど海外で生活したくて留学へ


Q.交換留学プログラムに参加しようと思ったきっかけを教えてください。

  私は父親の仕事の都合で、幼少期にアメリカ、南アフリカ、オーストラリアに住む機会がありました。ただ、いずれも幼少期のことだったので語学力が身についたわけでもなく、また、記憶もあまり残っていませんでした。ただ、その経験があったからか、幼い頃からなんとなく海外への関心がありした。

 そんな経験があったものの、中学生の頃は英語はどちらかというと苦手な教科でした。それでも、「海外の生活に入り込みたい」「現地の友だちをつくりたい」「現地の生活を実際に経験してみたい」という気持ちがありました。同志社国際高校は国際交流や留学に積極的な学校ということもあり、「折角そういう学校に入学したのだから」と、父親が中学高校時代の留学を薦めてくれたのも大きかったです。


Q.派遣国にオーストラリアを選んだ理由を教えてください。

 前述した通り、幼少期にオーストラリアに住んだことがありました。オーストラリアに住んでいたのは9~10歳の1年間ですが、その生活をとても気に入っていました。元々オーストラリアにはもっと長く滞在する予定だったのですが、父の仕事の都合で早めに帰国をすることになったという経緯があり、もっとオーストラリアで生活したかったという心残りが記憶にありました。

 そのため、高校留学についてはオーストラリアありきで考えていました。また、早めに行きたいと思っていたので、1年生の夏出発でオーストラリアに行ける留学団体を探していて、当時EILが唯一オーストラリアの夏出発プログラムがあり、EILに決めたということもあります。(事務局注:現在オーストラリア派遣プログラムは冬出発のみとなります)




大変な日々を乗り越えられたのは笑顔のおかげ


Q.留学生活で苦労したこと・大変だったことを教えてください。

 留学が決まったとはいえ、英語は苦手科目なままでした。出発前にホストファミリーと手紙や電話のやりとりをしましたが、四苦八苦するレベルで、当然ながら到着後も苦労しました。

 まず、学校の授業の内容がまったくわかりませんでした。さらに、ホストファミリーの言っていることが理解できず、同時に緊張もあってうまく話せない状態でした。そのため、「麻美は”YES”しか言わない」とホストファミリーからローカルコーディネーターに相談がいってしまったほどです。まさに出発前オリエンテーションで事前指導される「これだけはやっちゃダメ」の典型例だったと言えます(笑)。

 実はこの頃の私は人見知りなところがありました。家族と一緒に海外に住んでいた時にうまく現地の生活を過ごせていたのは、母が社交的で、周囲の人たちと積極的に関わり、私も母親についていく形で自然にその中に入り、話すことができていたのです。そのイメージが頭にあったのですが、1人でオーストラリアにきてみたら、会話1つろくにできず、「自分は1人じゃ何もできない」と落ち込みました。


 そんな私のオーストラリア留学のスタートでしたが、1つ決めていたことがあります。それは、「人見知りはあるけど、愛想はよくしよう、笑顔でいよう」ということです。その甲斐あって、日本人が珍しい田舎町だったということもありますが、友だちづくりには苦労はしませんでした。

 近くに住んでいる同じ学校の子が、私の事を色々と気にかけてくれたのも大きかったです。一緒に過ごす時間が長くなるに連れ、「自分の英語も通じるんだ」「私が言ったことで笑ってくれるんだ」という体験が積み重なり、「英語を話す」ことへのハードルが下がっていき、状況もよくなっていきました。




 語学力の他にもう1つ大変だったのはホストシスターとの関係です。一人っ子の6歳の女の子が私のホストシスターでした。私自身には親戚の小さい子たちとも仲が良く、子どもも好きだったのですが、英語力の問題もあって距離の詰め方がうまくわかりませんでした。それまでホストシスターはホストペアレンツの愛情を一身に受けてきたのに、私という存在が突如現れたことで、親の自分への関心が削がれたと感じたのだと思います。ホストペアレンツの見えないところで意地悪をされたり、言われたり、睨み付けられることもしばしばでした。6歳の子のすることですから、1つ1つは他愛もない小さなことなのですが、毎日のことなのでストレスが積み重なりました。かと言って、遠慮がありホストペアレンツに相談することもできませんでした。留学前のオリエンテーションで「自室に閉じこもってはいけない」と言われていたのですが、リビングにはホストシスターがいるから居辛く、一方で田舎町だったので外に遊びに行けるような場所もありませんでした。そんな中で私の救いになったのは動物たちです。ホストファミリーの家には100頭ほどの牛を含めた家畜や犬猫にクジャクまでいるようなお家でした。ちょうど私が到着した直後に産まれた子牛がいて、私に懐いてくれていたので、気分転換によくその子と戯れていました。

 一方で、ホストシスターと距離を詰める努力を重ねました。ホストシスターは幸いにもポケモンが好きだったので、ポケモンキャラクターになりきって戦いごっこをするなど、一緒に遊ぶように心がけました。2ヶ月くらいかかりましたが、ホストシスターが私に心を開いてくれて、色々な遊びをしたり、話をするようになっていきました。留学最後のお別れの時は泣いてくれるくらいの関係を築けたことはとても嬉しいことでした。



Q.逆に一番思い出に残っていることはなんですか?

  帰国間近にホストファミリーの親族旅行に一緒に行かせてもらったことです。ホストファミリーはもちろんですが、その親族とも仲良くなっていたので、家族の時間を一緒に過ごせたことは、本当にいい思い出となり嬉しかったです。そもそも私が留学に行こうと思った理由が「現地の生活に入り込みたい」ということだったので、この旅行がその集大成のような位置づけとなり、充実感もありました。



アジアの社会問題解決に生きる


Q.帰国から大学進学について教えてください。

 友人関係は中学の時からの友だちがいたので特に問題はありませんでしたが、高1で勉強する基礎が抜けている状態だったので学業は苦労しました。特に古文がまったくわからず、赤点を取ってしまって個別に呼び出しを受けたりもしました。

 留学前から内部進学で同志社大学に進学することは決めていました。特にグローバル地域文化学部は新設の学部だったのですが、帰国後に海外への関心をより深めたいという気持ちが大きくなっていた中で、勉強できる内容がマッチする学部だったので迷わず希望しました。


Q.大学在学中の活動について教えてください。

 大学在学中は、東南アジア諸国でボランティア活動を展開する学内のサークル活動に勤しみました。最初のきっかけは大学1年の夏にカンボジアの貧困地域に家を建てる活動に参加したことです。この時に、私は現地のコーディネーターとコミュニケーションを取る係を担当しました。英語を話せることによって家を建てるという本来の活動だけではなく、現地の人と話す機会を多く得られました。直接彼らと話し、友だちになり、深いところに触れることができました。

 この時の活動から現地に友だちができ、その後1人でも現地を訪問するようになりました。現地のコーディネーターだった人が、独立して教育支援の活動を開始したこともあり、私もその活動をサポートしたりもしました。とにかく大学在学中は長期休みがあれば東南アジア諸国を訪れるというくらい、のめりこみました。


 そうこうしているうちに、大学3年生の夏から就職活動が開始しました。インターンシップなども経験するにはしたのですが、日本で働くイメージがつかず、就活にワクワクしないという状態でした。

 自分がどのような将来を歩みたいのか真剣に考えた時に、カンボジアだと至りました。ただ、「一時的に訪れるのと、実際に住んで働くのは違う」と現地のカンボジア人にも日本人にも言われました。だったら、実際にカンボジアに住んでみて、カンボジアとこれからどのように関わるのかを決めようと思って、大学4年生の夏から1年休学してカンボジアで過ごしました。

 休学中はカンボジアの首都であるプノンペンで教育支援に携わり、また日系のゲストハウスの立ち上げと運営にも携わりました。空いている時間は日本語を教えたりと色々なことをして過ごしました。その結果、やっぱり私はカンボジアで働きたい、と思いました。現地の日系の人材紹介会社で内定をいただいたのですが、その時オファーされたのが5~10年働いてる人をマネージメントするポジションでした。カンボジアで働ける願ってもないオファーだったので悩みましたが、この職務に就くには自分の力をもっとつける必要があると思って断わりました。人材系のキャリアを積むために日本に一度戻り、IT人材ベンチャー企業のワンキャリアで働くことになりました。


Q.現在のお仕事について教えてください。

 休学してカンボジアにいた時に、原畑実央さんに出会いました。カンボジアや社会問題への熱量が似ていて、仲良くしていました。当時、実央さんは個人活動としてカンボジアの社会起業家を日本企業に紹介する活動をしていました。私が日本に戻って働いている時に、実央さんが日本で行ったイベントを手伝ったことをきっかけに、私もプロボノ(事務局注:専門知識を活かしたボランティア活動)として、彼女の事業を手伝うようになりました。私は、日本の企業でキャリアを積んだ後は、カンボジアで教育と人材の分野で雇用を生み出したいと考えていました。しかし、プロボノ活動を通して、事業のマッチングを手がけるほうが、生み出されるインパクトがより大きくなることを実感しました。

 実央さんが個人活動として行っていた取り組みが大きくなるにつれ、組織化することが求められる場面が増えたことから、会社登記を行うことになり、そのタイミングで私も勤めていた会社を退職し、2019年12月にソーシャルマッチ株式会社の共同創業者となりました。


 私たちの事業は、東南アジア諸国で、現地の社会問題解決に取り組む社会起業家と日本企業のマッチングのコーディネート、大学生向けに東南アジアの社会起業家からSDGsや社会問題を学ぶSDGsインターンシップの2つの事業を展開しています。企業のマッチングは具体的には雑貨ブランドからの依頼で、現地の障がい者を雇用しながら物づくりをしている企業とのマッチングが事例としてあります。SDGsの広がりも後押しとなり、コロナ禍においても取引の成立が相次ぎました。

 創業直後の2020年の前半は現地でのネットワーキングの必要性もあったことからしばらくカンボジアで活動をしていましたが、ある程度カンボジア内のネットワークが確立されたことや、新型コロナウイルスの広がりもあり、現地訪問される日本企業様が減り、日本で日本企業様のサポートをオンラインで行うようになったため、2020年8月からは日本に拠点を移して事業を行っています。




一歩を踏み出せば、視野も人脈も広がる


Q.高校留学の経験は今の自分に、どのように影響を与えていますか?

 大きく2つあります。1つは英語を好きになったことと、もう1つは人脈です。高校留学を通して英語を話すことに抵抗がなくなり、苦手だった英語を好きになりました。英語を話せることによって、興味を持って飛び込んだ先で入り込める深度が深くなったことが今に繋がります。

 もう1つは、EILのOB/OG会(アラムナイ会)で広がっていった人脈です。大学在学中は東南アジア諸国を訪れるのと同時に、アラムナイでも様々な活動をしました。アラムナイでは、これまで触れあうことのなかった社会人など幅広い年齢層の方、同じ大学生でも学んでいることや興味関心が異なる人たちなど、大学生活では出会えない人たちに出会うことができました。これらは私のとても大切な財産になっています。


Q.留学を考えている高校生にメッセージをお願いします。

 一歩を踏み出す勇気を持ってほしいと思います。正直私も留学前は英語が苦手でしたし、社交的な人間じゃありませんでした。海外に1人で行った経験もありませんでした。自信や、具体的なビジョンがなくても、ちょっとでも「やりたい」「行ってみたい」という気持ちがあれば、あとは勇気を持って最初の一歩を踏み出せば、視野も広がるし、人脈も広がります。ぜひ勇気を出してみてください。




樋口麻美さんプロフィール

大阪府堺市出身。

同志社国際高等学校1年次の2010年夏から、オーストラリアへ留学。帰国後2年生に復学し、内部進学で同志社大学グローバル地域文化学部に入学。2018年3月に同大学卒業後、IT人材ベンチャー企業を経て、2019年12月、ソーシャルマッチ株式会社を共同創業。


 

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​EILの正式名称は「Experiment in Intertnational Living」このサイトは、EILのプログラムを通じて国際交流体験をした人たちを「Experimenters」と称し、その体験やその後にどう活かされたかを紹介するEILのウェブマガジンです。