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自分の「やりたい」にまっすぐ生きる 藤巻好子さん(2003年トルコ派遣)

更新日:6月13日

 これまでに数多くの人たちが高校生交換留学プログラムに参加してきました。OB/OGたちの進路やキャリアは多岐に渡っており、それぞれの分野で活躍し、社会に貢献しています。

 今回インタビューを行ったのは、2003年にトルコ派遣プログラムに参加された藤巻好子さんです。藤巻さんは「世の中をよくする」を基軸としてボランティアを含めた5つの組織を渡り歩いてこられました。現在は日本マイクロソフト株式会社のモビリティサービス営業統括本部にて業界スペシャリストとして活躍されている藤巻さんに、高校時代の留学経験がどのようにその後の歩みに影響を与えたのか伺いました。

 

見える世界を変え、向かい合いたいものを見つけるために高校留学へ


Q.交換留学プログラムに参加しようと思ったきっかけを教えてください。

 高校生活に何か不満があったわけではないのですが、一方で楽しさや新鮮さもないと感じていて、更に将来に対する漠然とした不安がありました。やりたいことがわからなくて、わからないまま時間だけが過ぎていってしまうような、そんな焦りに似たものがありました。「何かを変えなくてはいけない」という悶々とした気持ちがあった中で、海外に出てみたら見える世界が変わるんじゃないか。興味範囲が広がって、向き合いたいものが見つかるんじゃないか、という気持ちがありました。私には5才年上の姉がいて、アメリカに高校留学をしていたため、背中を押してくれたのも大きかったです。



Q.派遣国にトルコを選んだ理由を教えてください。

 アメリカに高校留学した姉から、「アメリカへの交換留学経験者は山のようにいる。ユニーク性を求めるなら非英語圏に留学したほうがいい」と薦められました。科目としての英語が苦手だったこともあって、早々に非英語圏に的を絞りました。非英語圏の中でもトルコを選んだのは、歴史とイスラム文化が好きだったためです。この2つの興味にマッチして、さらに高校留学で行ける国が唯一トルコでした。




辛いことや大変なことはあるけれども、私のことをわかってくれる人がいる


Q.留学生活で苦労したこと・大変だったことを教えてください。

 とにかく言語で苦労しました。留学前にトルコ中央アジア文化センターで、ネイティブからトルコ語を学んでからの出発だったのですが、到着後にトルコ語で自己紹介をしたのに伝わらないという苦い経験をしました。英語も苦手だったので、トルコ語も英語もできない自分と向き合うことになり、辛かったです。3ヶ月くらい必死で勉強しているうちに徐々に語学力が身についていき、状況が改善していきました。


 もう1つ大変だったのは、アジア人に対する偏見です。当時は東洋人が少なく、私はとても目立っていました。物を投げられたり、髪を燃やされそうなるといった嫌がらせを受けました。そうした目に遭うこと自体ショックだったのですが、同じ学校にドイツからの留学生がいて、明らかにその子に対する扱いは異なり、民族や人種についても考えさせられました。

 そんなこともあり友だちづくりにも最初は苦労したのですが、トルコ建国の父ケマル・パシャ(アタチュルク)のことを学ぶ部活に入ったことをきかっけに、仲のいい友だちができていきました。



Q.逆に一番思い出に残っていることはなんですか?

 前述の通り、アジア人差別を受けるようなこともありましたが、一方でいい人達ともたくさん出会いました。トルコにはバザールという市場があるのですが、そういったところに通ううちにお店の人と仲良くなり、彼らとの交流の中でトルコ人の温かさを知ることができました。


 また、ホストファミリーとの交流も忘れられません。私のホストファミリーはホストペアレンツとホストシスター、ブラザーという構成でした。苦労が多かった留学生活当初、私は自室の中で1人で泣いたり、ふさぎこんだりすることが多くありました。そんな私の様子にホストファミリーも気付いていたんだと思います。ある日、ホストマザーが部屋にきて、「みんなであなたの話を聞いて、悲しみを共有するからリビングに行きましょう」と言ってくれました。そうして私は自分の直面している辛さをファミリーに話すことができ、そしてファミリーは私の心のサポートをしてくれました。トルコ人はとても共感力が高く、私が話しながら泣いてしまうと、みんなも泣いてしまうことが度々ありました。辛いことや大変なことはあるけれども、そんな私のことをわかってくれる人がいる、と思えたことは大切な思い出です。




「人々の共生」に繋がる、世の中をよくすることに携わりたい


Q.帰国後の進路選択について教えてください。

 私は高校3年生の夏に留学をし、同級生は卒業した後の6月頃に帰国をしました。帰国後に留学中の単位認定を受け、7月頃に卒業が認められました。復学ではなく卒業を選択したのは、受験勉強に集中したほうがいいと思ったためです。

 留学を開始して4~5ヶ月くらいで民族の共存共生について勉強していきたいという気持ちが固まりました。当時はインターネットもそれほど普及していなかったので、時間がある時に町中のインターネットカフェを訪れ、大学を探しました。

 筑波大学の比較文化学類は学際的に学ぶことができる、つまり様々なことを横断的に学べる学部でとても惹かれました。更に国立大学ですから経済的なメリットも大きかったです。自己推薦入試が設けられていたので、帰国後すぐに準備を行い、進学を決めることができました。



Q.キャリアの変遷について教えてください。

 私にとってトルコでの高校留学の1年はすごく大きいことで、大学在学中もその経験に引っ張られていたような感じがあります。「人々の共生」という大きなテーマが自分の中にあり、卒論もドイツにおけるトルコ系移民政策がテーマでした。就職活動のタイミングで改めて様々な企業について調べる中で、海外進出しているメーカーが、現地に工場をつくり、現地で雇用を生み、そして交流を生んでいることに惹かれました。最初に私はトラックを主力商品とする自動車メーカーに就職したのですが、トラックというのは富める人もそうでない人にも物を運ぶというロマンを感じました。働くからには世の中をよくする仕事に就きたいという思いもあり、入社を決めました。

 その自動車メーカーでは、海外営業部門に配属され、入社4年目から3年間アメリカ支社に赴任しました。元々はトルコでの経験を活かしたく、トルコや中東地域の担当を希望していたのですが、当時は社内で女性を中東地域担当にする事に対するハードルがあり、入社以降約7年間アメリカビジネスに携わりました。アメリカ赴任時は経営企画に携わり、経営という観点を学ぶことができたのは大きかったです。

 その後、別の自動車メーカーに転職し、グローバルマーケティングの部門で働きました。ここではより経営に近い業務を担いました。やりがいのある仕事でしたが、一方で当初描いていた「世の中をよくする仕事」からは遠ざかっているような感覚も生まれてきました。32才の頃、自分のキャリアの方向性について、このままビジネスでいくのか、又は、もっと国際協力に寄せるのか、ちゃんと立ち止まって考える必要があると思い、思い切って青年海外協力隊に応募しました。

 青年海外協力隊ではヨルダンに滞在したのですが、日本からボランティアとして派遣されている立場でできることは限られていたことや、やはりビジネスの立場の方が与えられるインパクトが大きいことを実感し、ビジネスの世界でキャリアを重ねることに決めました。

 その後はコンサルティングファームを経て、2020年4月から日本マイクロソフトで働いています。



Q.現在のお仕事について教えてください。

 現在はモビリティサービス営業統括本部の業界スペシャリストとして働いています。ITを利用した自動車業界の課題解決、他社との連携や新規ビジネス開発などが主な業務です。これまでのキャリアを活かすことができていると感じています。

 やはり私の根底には「人々の共生」に繋がる、世の中をよくすることに携わりたいという思いがあります。今私が携わっているプロジェクトで、AIを自然災害や障がい者のために活かしていくというものがあります。企業が保有するテクノロジーを、自社の利益のためだけではなく社会貢献にも使っていくということは、最適なバランスを取る難しさがありますが、非常にやりがいがあります。


 思い返してみると、高校時代にやりたいと思っていたことと、今の私の業務内容は必ずしも近いものではありません。でも、その時々で「やりたい」と思っていることに対してどう向き合い、アプローチをしていくのかが大事だと思っています。きちんと自分の行きたい方向に歩みを進めていると、次に行きたい場所は見えてくるものです。



自分のやりたいことを見つめ、自ら変化を起こしていくという姿勢


Q.高校留学の経験は今の自分に、どのように影響を与えていますか?

 自分で動く重要性を知ったことだと思います。自分で行動を起こせば絶対に変化があります。もちろん良い変化だけではなく、悪い変化もありますが、自分次第で変化を起こしていけるということです。私は社会に出てからボランティアも含めると、現在5つめの組織に属しています。年を重ねるほどに、環境を変えることに対して臆病になるものです。それでも、自分のやりたいことを見つめ、自ら変化を起こしていくという姿勢は、高校留学の時に身に付いたものだと思います。また、高校留学は予測不可能な状況との遭遇の連続です。その1つ1つと向き合ったことで、ある程度どこででもやっていける適応力が身についたことも大きいですね。

 もう1つは、他者の視点を持つようになりました。留学中は何かとセンシティブになって、周囲の人たちの考えや自分の見られ方が気になることが多かったです。感受性が強くなっていたのだと思います。でも、その経験から私は色々な場面で、「相手や他の人はどう思うだろうか、どう考えるだろうか」と自分の視点から一旦離れて考える癖がつきました。他者を気にしすぎるのはよくないと言われることもありますが、他者の視点を持つことは大事だと思っています。



Q.留学を考えている高校生にメッセージをお願いします。

 おそらく多くの皆さんにとって、高校留学が親元からも友だちからも長期間離れるという初めての体験ではないでしょうか。それはとても勇気のいることだと私は思います。でも、そのことによって初めて気づくことがたくさんあるのが高校留学です。今世界で何が起きているのか、そして日本の良さやユニークさも見えるようになります。10代という感度の高い時期だからこそ感じられること、気付けることがたくさんあります。また、留学に行くタイミングが早くなることで、将来の選択肢も広がっていくと私は思います。

 更に、私は非英語圏に留学をしたことで、英語以外の語学を学びましたが、語学の学習方法や語学勉強に対する向き合い方が大きく変わりました。結果的に帰国後は、留学先の言語であったトルコ語だけでなく英語力も伸ばすことが出来、留学から18年経った今、様々な国の人と仕事をする機会に恵まれています。不安もあるかもしれませんが、ぜひ勇気を出して飛び出してみてください。



藤巻好子さんプロフィール

千葉県我孫子市出身。

千葉県立柏南高等学校3年次の2003年夏よりトルコへ留学。帰国直後に卒業。2005年4月、筑波大学比較文化学類進学。2009年4月、大手自動車メーカーに入社。青年海外協力隊、総合コンサルティングファーム勤務を経て、2020年4月日本マイクロソフト株式会社モビリティサービス営業統括本部に業界スペシャリストとして入社。


 

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