これまでに数多くの人たちが高校生交換留学プログラムに参加してきました。OB/OGたちの進路やキャリアは多岐に渡っており、それぞれの分野で活躍し、社会に貢献しています。
今回インタビューを行ったのは、2009年にフランス派遣プログラムに参加された大橋希さんです。大橋さんは交換留学プログラム参加後、日本の大学に進学された後、イギリスのバーミンガム大学大学院で学び、現在は株式会社ボーダレス・ジャパングループのピープルポート株式会社にて難民支援の事業に携わられています。
高校時代の留学経験がどのようにキャリアに影響を与えたのか伺いました。
大橋希さんプロフィール
2009年フランス派遣
東京都世田谷区出身
東京都立戸山高等学校2年次の2009年夏よりフランスに留学。帰国後2年次に復学し、京都大学に入学。在学中、交換留学にてグルノーブル政治学院に1年間留学。同大学卒業後、バーミンガム大学大学院にて政治学を学ぶ。2018年1月より株式会社ボーダレス・ジャパングループ、ピープルポート株式会社入社。現在に至る。
行かない理由がなかったフランス留学
Q.交換留学プログラムに参加しようと思ったきっかけを教えてください。
中学は私立の一貫校に通っていました。女子校で規則が厳しく、同級生同士がグループで固まっているような校風でした。規則の厳しさに反抗していたため、学校では問題児扱いされていました。そんなこともあり系列の高校には進学しないことにして、都立の高校に進学しました。
進学した高校は全く違う雰囲気で、同級生同士もグループ意識がなく、それぞれが独立しているような感じでした。望んで飛び込んだ環境でしたが、それまで自分が生きてきた環境と違いすぎてうまく馴染めず、1年生の頃はあまり高校生活を楽しめませんでした。
そんな私の様子を見かねたのか、母が高校生交換留学の制度について教えてくれました。勧めるというよりは選択肢の1つとして提示がされた、という感じだったと記憶しています。以前から海外に対する関心はあったので、「行けるかどうかはわからないけど、とりあえず応募してみよう」という軽い気持ちで選考試験を受験しました。
派遣国にフランスを希望したのもそれほど深い意味はなく、人と違うところに行きたかったというのが一番大きいです。なんとなくフランスってイメージがよくて(笑)。キラキラしていそうだな、おしゃれだな、フランスに留学したって言ったらかっこいいな、と思って決めました。
そのように、そもそも大きな決意を持って応募したわけではなかったのと、高校2年生に入ってから学校生活も楽しくなってきたので、合格後も本当に留学するかどうかは迷ったりもしたのですが、最終的に行かない理由がなかったので参加を決めました。
これまでの「普通」が通用しない
Q.留学生活で苦労したこと・大変だったことを教えてください。
言語はもちろん苦労したのですが、それ以上に大変だったのは文化の違いです。特に自ら主張しないと何も始まらない、というのが大変でした。「これが好き、嫌い」といったことも、きちんと言葉にして言わないと伝わりません。何か不満を感じることがあれば、それを主張しなければ誰も気付かず、状況は変わりません。そもそも「当たり前」や「ありえない」という基準が全然違いました。私にとっては「これはありえない」と思うことが、現地では「当たり前」だったりするわけです。例えば、私のホストファミリーは揃って夕食を食べるのは週に2~3日でした。残りの日の夕食について何も説明がされず困ってしまいました。勇気を出して聞いてみると「家にあるものを適当に食べていいのよ~」と当たり前のことのように言われました。説明がされるはず、夕食は用意されるべきといった、私の中にあった「普通」が通用にしないことを痛感した体験です。日本では汲み取ってもらえたり、共有できている「当たり前」があって、その土台の上で生活をしていたわけですが、その土台がそもそも違う中で生活をするのは苦労しました。
また、友だちづくりにも苦労しました。フランスではあまりグループで固まるという感覚がなく、みんな独立しているのである意味一人でいても目立たない。そうすると、自ら話しかけていかない限り友達ができないという環境でした。他の子たちに話すきっかけをつくらないといけないと思って、日本の雑誌を持って行ったりしました。あと、フランスの子たちはガムをあげあうことが多いんです。「ガム持ってない?」と言われた時に出せるように必ずガムを持ち歩き、自分と合うか合わないかに関わらず、最初はとにかくどんな人とも話し、誘われたら絶対に断らないという気持ちでいました。
Q.逆に一番思い出に残っていることはなんですか?
これ、という何か大きな楽しかったイベントがあったわけじゃないな、と振り返って思います。どちらかというと、日本にいた時には感じなかったような小さなことに心を動かされました。
留学中、自分の意見や感情をうまく出せないことが多くて、自分がここにいる意味ってなんだろうと思うこともありました。そんな中でクラスメイトが気を遣ってランチに誘ってくれた瞬間。ホストファミリーの親戚の家庭と仲良くなって、その人たちと過ごす何気ない時間。不完全な私なのに優しくしてくれる人たちがいて、寄せられる好意の1つ1つが心に沁みました。
たぶん日本で生活をしていた時にも、同じようなことは身の回りで起きていたんだと思います。でも、それに気付いていなかったんだな、ということにも気付けました。
人のために働きたい
Q.交換留学中に、今のキャリアの原体験があると聞きました。
私は、フランス留学を通して移民問題と出合いました。留学前の私のフランス人のイメージは「金髪白人、イケメンがいっぱい」でした。実際に留学がスタートすると、私のホストファザーはアルジェリア系フランス人で、イスラム教徒でした。移民の人との初めての出会いでした。しかも、私の到着日にホストファザーはラマダン(イスラム教の断食)の最中だったのでより衝撃が大きかったです。
また、フランス人はホームパーティーなどで集まると色々な事について議論をします。よく話されていた話題の1つが中東からの移民の人たちの事でした。話の内容を聞いていると、地元の人たちと移民の間に隔たりがあることを感じました。パリの移民が多く住んでいる地域に足を運ぶ機会もありました。そういった地域は治安が悪いと言われているのですが、実際にガラスが割れているのを見ると、自分が留学前に思っていた「キラキラしたパリ」と違う側面があることがわかりました。
学校でもイスラム教徒の通学中のスカーフ着用問題について、授業のディスカッションのトピックとして取り上げられていました。クラス内に当事者がいるのに、です。議論好きなフランスならではの体験でしたが、こうした留学中の経験を通して移民や格差の問題について関心を持つようになりました。
Q.帰国後の進路について教えてください。
日本の高校では休学扱いで留学したので、帰国後2年生に復学しました。留学前は1つ下の学年に戻るのは嫌でしたが、実際に復学した後困ることはありませんでした。というのも、フランスの学校では留年がそれほど珍しくないため、同じ学年に年齢が異なる子がいることは普通になっていたことが大きいです。
日本よりも進んでいると思っていたフランスでも移民や格差の問題があることを知り、世界には想像以上にいろんな問題があるのではないかと考えるようになりました。そうした分野について深く学べる政治学を学びたいと進路を選びました。
留学中に「自分は恵まれている」と感じ、将来は社会に貢献できる仕事に就きたいと思い始めました。京都大学に進学後、国連やNGOなどの国際組織についてなんとなくは知ってるけど、具体的な活動については知らなかったこともあり、在学中は色々な海外インターンやボランティアに顔を出していました。
将来海外で働きたいと思っていたので、京都大学の交換留学制度を利用して在学中に1年間フランスに留学しました。また、国際機関で働くためには、どうやら修士の学位が必要だということがわかったので、大学院に進学することは早い段階で決め、バーミンガム大学大学院で学びました。
Q.高校留学と大学・大学院留学の違いについて教えてください。
大学や大学院留学は、知識を得に行くための留学でした。自分の専門分野があり、そのことが海外ではどのように教えられているのか、どう考えられているのかを学びに行ったという感覚があります。また、大学留学の場合は興味関心の方向性や、専門性が似ている人たちが集まった環境に飛び込みます。ですから専門性を深めあったり、価値のあるネットワーキングになりました。
一方、高校留学というのは、自分の価値観や方向性が定まっていない状況で行くものだと思います。そうすると、「自分づくり」に影響を受けます。言語習得よりも、「自分はどういう人なのか」「自分はこれからどうありたいのか」ということに大きな影響を与える経験だったと思います。
Q.大学院卒業後のキャリア選択について教えてください。
社会に出ることを考えた際、自分は大きな組織で働くのは向いていないと思いました。ルールがたくさんあるのは苦手でしたし、大きなインパクトのあるプロジェクトの一部になるよりは、最初から最後までコントロールできるサイズのプロジェクトに携わりたい、サポートをする対象の人と近い距離で働きたいという気持ちがありました。そうすると、スタートアップ(新規事業の立ち上げ)や小さなNGOの方がいいだろうと感じました。
その上で私は難民問題の解決に携わりたいと思いました。それは大学3年生の頃の中東に行った経験が大きいです。ヨルダンを訪ねた際、シリアやパレスチナなど周辺国から多くの難民を受け入れたことにより、社会が不安定になっていました。難民の人たちというのは、元々生活に困窮していたわけではなく、ごくごく普通に生活をしていた人たちです。それなのに紛争によって生活を追われ、テントでの生活を強いられていた。そこにはすごい悲壮感が漂っていました。この時の経験から難民の人たちの力になりたいという思いが高まりました。
日本で難民問題について継続的に関わりたいと思って見つけたのがボーダレス・ジャパングループのピープルポートという会社でした。ピープルポートでは企業や個人から廃棄予定の電子機器を譲り受け、難民の人たちがその修理作業にあたり、再生品として販売をしています。
高校留学の価値は行って初めてわかる
Q.高校留学の経験は今の自分に、どのように影響を与えていますか?
大きく3つあります。1つは「生き方」に対する影響です。周りの人たちがしてくれていたことに感謝できるようになりましたし、自分は素敵な家族や友達に囲まれ、恵まれた環境で生まれ育ったということに気付けたということがあります。
2つ目は自分自身を受け入れられるようになりました。日本社会の中には「いい子でいなければ」「ちゃんとしなければ」というプレッシャーがあるように思います。フランスでは、思ったことを何でも言っていいし、何をしてもいいという雰囲気がありました。日本ではクラスで浮いている子がいると思うんですが、フランスではそれがありませんでした。ちょっとオタクっぽかったり、変わった子でもクラスに馴染んでいるというか、受容されていました。それが自分の中にも沁みついているように思います。それは他者に対してということよりも、自分自身に対してです。自分がどういう形でもいい、優等生じゃないところも出してもいい。どんな自分の部分も受け入れられるようになりました。
3つ目はやはり移民問題との出合いです。高校留学がなければ中東に対しても、移民や格差問題に関心を持つことはなかったと思います。
Q.交換留学を検討している高校生にメッセージをお願いします。
私は高校留学の価値を理解しないで出発しました。留学で学べることや、どんないいことがあるかなんて、留学前にはわからないものだと思っています。これは行った人にしかわからない、後から振り返ってその価値に気付くものじゃないでしょうか。少なくとも私は自分の中のポリシーが変わり、将来に繋がるような出会いがありました。元々記憶力はよくないのですが、高校留学中に言われた言葉や起こったことはなぜか鮮明に、たくさん思い出すことができます。それぐらい自分の中でもインパクトが大きかったということです。
なので、もし行かない理由がないならば行ったほうがいいです。目の前に高校留学のチャンスがあるのなら、それを逃すのはものすごくもったいないです!
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