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~OB/OGが見たコロナ禍の世界~第7回 カナダ在住 フレンチ友美さん

更新日:2020年10月16日

全世界で猛威を振るう新型コロナウイルス。

Experimentersでは、そんなコロナ禍を海外で過ごすことになった、EIL高校生交換留学プログラム派遣生たちの体験談に加え、海外で生活をしているOB/OGからのレポートもお届けします。


高校生交換留学プログラムを経験し、それぞれの事情から海外で生活するOBOG達。

お子さんがいる方たちも多く、海外のコロナ禍における子育てという視点も興味深いのではないでしょうか。

ぜひ、派遣生とはまた異なる視点による各国のコロナ禍における暮らしの様子を読んでいただければと思います。


▼これまでの記事はコチラ!



今回は、カナダ在住のフレンチ友美さん(1999年アメリカ派遣、愛知県出身)からの報告です。

 

■滞在地域と在住歴

カナダ西部オタワ(首都)人口は1億人。環境は緑が多くゆったりしていて、家族向きの住みやすい都市。

公共交通はバス。ダウンタウン以外の郊外に住んでる場合は車がないとちょっと不便。

冬が長く、雪は11月から降り出して、雪が解けるのはいつも4月頃。冬の気温は毎日マイナス15度くらい。

寒波が来るとマイナス30度以下で鼻毛が凍ります。。。

夏はカラット過ごしやすくいつも30度程度の気温。

2つ大学があって、多く国際留学生を受け入れています。

2007年に移住してすでに13年。

2003年に出会った今の旦那さんが、カナダ人オタワ出身なので、オタワに住むことになりました。



■家族構成

旦那さんと、10歳と12歳の子供とネコ2匹です。郊外の一軒家に住んでいます。

家から20分の所に旦那さんのお母さんが住んでいて、仕事中の子供たちの面倒等で助けてもらっています。


■滞在地域のコロナに対する変化

3月11日にパンデミックは発表されて、春休みが3月14日から始まったのをきっかけにすべてが閉鎖されパニック状態でした。スーパーも大量買いで空っぽが続いたり、春休みの旅行に出かけていた人たちは国境が閉鎖されるのアナウンスで急遽帰国、空港は困難状態。春休み混雑するスキー場やホテルも閉鎖され、多くの家族が家ですごす春休みになりました。


(写真)スーパーの入店を待つ行列や、空きの目立つ棚


我が家では子供たちと毎日自転車で散策したり、家でいつもなら時間がないから出来ないようなキーボートやユクレリの練習、料理や日本語学習など、家族での時間がたくさんできて、私個人にはとても満足な充実した日々が続きました。


子供たちの学校は、最初は1週間春休み延期の予定でしたが、少しずつ延期が続き、再開の見込みが立ちませんでした。5月初旬に、残りの夏休みまでの2カ月は、オンライン学習のみで通学はなしということに決まりました。


お店も必要最低限以外は閉まっており、家から仕事ができる人はみんな在宅勤務となりました。

多くのサービス業の方は失業し、政府が危機補助金手当を出しました。コロナの影響で失業した人には、月に2,000ドル、4カ月間補助が出ることになりました。

託児所等も閉鎖が続き、仕事に行かなければならない親も仕事に行けず、多くの人が経済的に打撃を受けた模様です。


オンタリオ州は再開プランを3段階に分けて、少しづつお店も開き始め、7月中旬から多くのお店が営業再開となりました。

だた、室内での集会は50人、屋外は100人までと、制限も続きました。飲食店ではまだ室内での飲食再開ができず、持ち帰りか、外のテラスでの飲食のみとなっています。

団らんの機会も10人までと決められているため、友達や親せきに会うことはまだ今も難しい状況です。

最近、室内マスク着用令が出され、室内でのマスクの着用(5歳以上対象)が義務付けれられ、お店もマスクなしでの入店は不可となりました。


■コロナ禍で、その国の国民性を感じたこと

カナダでは、みんなで一緒にコロナと戦おうという姿勢があり、国民は、国・州・都市の決まりに従ってうまく行動できたと感じています。多くの人がボランティアでお年寄りの自宅に食料配達したり、誕生会等の集まりができないため、友達・家族・近所の人の誕生日には多くの車がバルーンを付けて家の前を運転してお祝いするなど、カナダ人の暖かい国民性が見られました。

「Thank you Front line Workers」をスローガンに、コロナの真っただ中で働いでいる人たちに対して感謝を示す傾向が多く見られました。

私の働く病院にも食べ物の差し入れ等が毎日続きました。

(写真)医療従事者感謝のメッセージや贈り物たち


■滞在国と日本の政策を比較して感じること

マスクをつける習慣のない国のため、最近マスク令が出されるまでは、マスクを着けてる人を見るのは20%程度だったと思います。コロナ対策自体は日本より早く始まって、政府が真剣に取り組んでいたのは驚き、感心しました。


■生活の変化

どこもかしこも2メートルの距離を開けるようになりました。スーパーの外には多くの列ができ、店に入るのを外で待ちました。

私は医療関係者感謝の動きにより、病院のバッチを見せると並ばずに入ることができ、ラッキーでした。

オンラインでオーダーして店の外でピックアップする制度ができ、とても便利で人気でした。


オンタリオ州の緊急事態宣言7月24日まで続きました。

6月12日にステージ2となるまでは、基本的に外出禁止でした。

この日以降、美容院がやっと再開許可され、みんなとても喜びました。男性は髪をバリカンで切ったり、家族にカットしてもらうのが流行っていました。

キャンプ場やビーチも再開され、やっと夏らしい外でのアクティビティもできるようになって嬉しい限りでした。

結婚式や葬儀屋も営業開始となりましたが、10人までの制限付きでした。レストランも、テラスでの営業を開始しました。

7月17日のステージ3となるまでは、基本的に家族以外の人と関わるロックダウンが続き、4か月間の外出制限がありました。

家族で過ごす時間が増えたため、アウトドア用品やお菓子作り用品は、店頭・オンラインショップ共にも売り切れが続きました。自転車、スクーター、キャンプ用品、カヤック、パドルボードなど、みんな色々工夫して外で自然を満喫する人が増えた傾向でした。室内では、お菓子作りが流行り、小麦粉、ベーキングパウダー、イースト菌等、本当に手に入れるのが困難でした。


8月現在も、まだ家族での団らんは10人までの制限となっています。

(写真)サイクリングにて、自然を満喫


■子育ての視点で大変なことはあった?

4月以降、すべてオンライン学習となり、親が学習を手伝うのは大変でした。

多くの親は、在宅で仕事をしながら、子供のオンライン学習の手伝いをしたり、面倒を見ていました。

集中力を保つのが難しく、大変でした。

一方で、家族や子供たちと一緒に時間を過ごす大切さなど、改めて考えさせられる機会になり、個人的にはコロナに感謝さえしています。

■アジア人に対する差別等は感じた?

トロントあたりでそのような話があったとニュースで聞きましたが、個人的には差別等はなにも感じなかったです。


私は看護師として医療現場で働き、コロナの状況をリアルタイムで見たこの5カ月でした。

コロナが広がり始めた3月は、病院もパニック状態。

5月には老人ホームでの集団感染が流行り、病院から多くのスタッフはボランティアで手助けとして派遣されました。医療関係者として、スタッフは家族にコロナを持ち込まないか不安と心配でストレス度の高い日々が続きました。

予定手術等も延期され、がん患者等、多くの患者さんがコロナの二次被害を受けたと思います。

今は落ち着き、少しずつ通常のサービスも再開し始めています。やっと7月下旬から予定手術も再開されました。

オタワのコロナ感染は現時点で2,700人程度。死亡者は270人で、死亡率は10%程度です。

色々なサービスやお店の再開が始まり、ここ最近若い人の感染率が増え始めました。9月から学校も再開始まる予定で、第二波が秋に起こるのではと心配されているような状況です。





(写真・文/1999年アメリカ派遣 フレンチ友美/カナダ在住)

 

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