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無力感を抱いても、最終的にはなんとかなる 細川もなみさん(1995年フランス派遣)

更新日:3月19日

 これまでに数多くの人たちが高校生交換留学プログラムに参加してきました。OB/OGたちの進路やキャリアは多岐に渡っており、それぞれの分野で活躍し、社会に貢献しています。


 今回インタビューを行ったのは、1995年にフランス派遣プログラムに参加された細川もなみさんです。細川さんは国際NGOで勤務をされています。今回細川さんに高校時代の留学経験がどのようにその後の歩みに影響を与えたのか伺いました。

 



3つのコミュニケーションで苦労

Q.交換留学プログラムに参加しようと思ったきっかけを教えてください。

 私の父は外国人に日本語を教える仕事をしていました。その父の仕事の関係で、4~5才の頃に1年パリに住んでいました。当時、私は現地の幼稚園に通い、フランス語を話していたそうです。ただ、帰国後フランス語はすぐに忘れてしまい、高校生となった頃には、当時の記憶そのものがほとんどありませんでした。ただ、いつかもう一度フランスに渡り、フランス語を学びたいと思っていたところ、父がまた仕事の関係で1年フランスに行くことが決まりました。両親からパリで一緒に生活するか、交換留学生としてホームステイで生活するかの選択肢を与えられ、迷わずにホームステイを選択しました。当時反抗期真っ最中だったこともあって、新しい環境に挑戦してみたいホームステイの方が楽しそう、という単純な想いからでした。また、当時高校留学というと英語圏に行く人が多く、みんなと同じことをしたくない、という天邪鬼な気持ちから、非英語圏であるフランス留学にチャレンジしたいという思いもありました。


Q.高校留学で苦労したこと・大変だったことを教えてください。

 「コミュニケーション」ということに集約されるのですが、コミュニケーションの中でも3つの種類があり、1つ目が「言葉の問題」、2つ目が「知識不足」、そして3つ目は「どのタイミングで何を話したらいいかわからない」、という問題です。

 

 1つ目の「言葉の問題」は出発前のオリエンテーションで、OB/OGたちに「最初の3ヶ月は我慢の時期。それを越えると語学力が上がるのを実感する」と聞いたのがずっと残っていました。ところが、3ヶ月経っても私のフランス語力はまだまだで、結局出発から4~5ヶ月経った年明けくらいからようやくフランス語を理解できるようになってきた、という肌感覚でした。言葉が通じない中で努力し続けるのは辛かったですが、「ずっとこのままの状況じゃないはずだ」と信じて頑張っていました。

 

 2つ目の「知識不足」というのは、フランスで出会った人たちに、日本の歴史、政治、文化等様々なジャンルで問いかけを受けましたが、知らないことだらけで、「どう?」って聞かれても「どうなんだろう・・・」となってしまうことが多くありました。

 今でもよく覚えていますが、私の留学開始当時、フランスが核実験を行ったということでフランス国内では大きな議論になっていました。留学初日、パリに到着した日に空港に迎えに来てくれた受入団体のスタッフから「核実験についてどう思う?」と聞かれ、色々言い換えもしてくれたので何について問われているかは理解できたのに、どう答えて良いか全く分からず、泣きそうになっていたら最後には「Do you like it?」 と英語で聞かれて、「No」とだけ答え、悔しい気持ちが広がりました。この留学初日の出来事がとにかく衝撃的で、今でも強烈に記憶に残っています。

 

 最後は「どのタイミングで何を話したら良いか分からない」という問題です。私のホストファミリーには、週末に友人家族が家に来たり、逆に友人の家に招かれて一緒に食事をしながら話をするという習慣が頻繁にありました。そうした場においては、通常子どもはそのテーブルには加わらず、子ども同士別の場所で遊んでいることが多いのですが、私は高校生ということもあって大人のテーブルに交ぜてもらっていました。とはいうものの、100%フランス語の大人の話の中でどのタイミングで何を話したら良いのかわからず、話の内容は理解できても、議論に加わることはほとんどできず、私に直接話しかけられたこと以外は一言も発せず、長い時は2~3時間、黙って話を聞いているだけのこともありました。

 今振り返れば、フランス語のリスニング力を鍛える絶好のチャンスだったと思いますし、同時にフランス人の考え方を学んだり、知識を増やすインプットの良い機会になっていたとも思うのですが、当時は会話に参加したいのに思うようにその糸口を見つけられないもどかしさや、何か言ったところで的外れで皆さんの話の腰を折ったら悪い、みたいな遠慮心も働きました。

 ホストファミリーは良かれと思って私を一緒にテーブルに加えてくれていたと思います。今だったら気にせず自分からこちらが分かる話をしたり、わからなかったら「わからない」と伝えることでコミュニケーションを取るなり、座っているのがつまらなければ他の子どもたちと一緒に遊んでいればよかっただけ、と思うのですが、当時の私にはそれができず、悔しさと寂しさが入り混じった気持ちでいました。


30年続く人間関係

Q.高校留学で一番思い出に残っていることはなんですか?

 帰国から30年経つと、「一番」が思い出せません(笑)。振り返った時に最初に思い出すのは、ホストファミリーとの日常生活です。私は日本ではひとりっ子でしたが、フランスでは下に弟妹が3人できました。ホストブラザーとドラゴンボールの話題で盛り上がったこと、当時12歳と13歳の弟たちが毎日のようにけんかをするのにすぐにケロッと仲直りするのを「面白いな~」と思って見ていたこと、ホストシスターの髪をとかしてあげたこと、一緒におままごとやかくれんぼをして遊んだこと。そして冬の朝、まだまだあたりが暗い中、バスに乗って学校に通ったこと、学校に販売に来ていたパン屋さんのパン・オ・ショコラがおいしかったこと、弟妹たちとパン屋さんにバゲットを買いに行ったら、帰り道にみんなでつまみ食いしているうちに1本なくなってしまったことなど、そうした日常の風景が思い出されます。

 あと、私は6才からフルートを習っていて、日本の高校では吹奏楽部に所属していたのですが、ホストマザーが近くで通えるフルートサークルを探してくれ、通うことができました。音楽やスポーツに国境はないとよく言いますが、音楽自体には言葉の壁がないこともあって、楽しむことができました。


 同じ地域にアメリカからきていた留学生仲間との交流も思い出に残っています。学校帰りによく会って、おしゃべりしたり、ウィンドウショッピングに出かけたりと時間をたくさん共有しました。彼女は今沖縄にいて、来月会うことになっています。留学から30年という長い時間が過ぎましたが、まさかこの年までホストファミリーやあの時出会った友だちと繋がり続けるとは思っていませんでした。



Q.高校留学から帰国した後の進路について教えてください。

 今はどうかわかりませんが、当時私の在籍校では、非英語圏への留学は単位認定が認められなかったため、休学扱いとなって2年生に復学し、1つ年下の子たちとクラスメイトになりました。やはり最初は違和感がありましたが、部活の後輩たちが温かく受け入れてくれて、次第に馴染むことができました。

 高校に入学した時点で内部進学することは決めていたので、そのまま東海大学に進学しました。学部学科は選択できたので、「世界をもっと見たい、知りたい」という思いから教養学部国際学科(現 国際学部)へ進学を決めました。

 大学の国際ボランティアゼミでタイへワークキャンプに行ってからタイにハマり、タイの教育についてもっと知りたい、研究をしたいと思って大阪大学人間科学研究科へ進み、大学院時代には、タイ・チュラロンコン大学教育学部に1年間交換留学生として在籍しました。

支援を必要とする人と、支援したい人の架け橋に

Q.これまでのキャリア変遷について教えてください。

 まだ就職氷河期と言われる時代で、正直、就職活動は大変でした。そんな中でもタイと繋がりのあった社会教育団体とご縁があり、約8年働きました。ここに在籍している間に結婚、出産、離婚を経験しました。その後、1人で子育てしていく環境を整える目的もあって、一般企業に転職をして3年弱働きました。その中でやはり国際協力の仕事に携わりたいという思いを諦めきれず、子育てとのバランスを保ちながら働ける場所を探し、現在のグッドネーバーズ・ジャパンに2017年に入職しました。

 グッドネーバーズ・ジャパンは自然災害、飢餓、紛争などで傷つき苦しんでいる世界中の人々の人道・開発援助を目的とした国際NGOです。日本国内では低所得のひとり親家庭へ無料で食品を配付する事業、海外では経済的な理由で学校に通えない子どもの支援、水道やトイレといった水の環境が整っていない地域で設備を整える事業、緊急支援では、例えば、2024年1月に起きた能登半島地震の被災地で炊き出しや物資の支援をしたり、2023年に起きたトルコ・シリアの大地震被災地支援、ウクライナの戦争から隣国ルーマニアに逃れてきている子どもたちへの支援も実施しています。

 私は現在、支援者サービス課という、寄付をしてくださる方たちの窓口になる部署にいて、課長という立場でメンバーの取りまとめをしています。

 支援を必要としている方と、支援したいと思ってくださる方の間に立ち、かっこいい言葉で言うと「架け橋」になっていることがやりがいに繋がっています。どちらの方からも「ありがとう」を聞ける立場なので、お金や支援物資といった目に見えるものだけでなく、そこに、目に見えない「気持ち」「温かさ」も乗せて届けることを大切にしています。

 今の仕事は、私がこれまでの人生で経験してきたことをフルに生かしながら新しいことにどんどん挑戦できる環境が自分に合っていると感じています。


Q.高校留学の経験は今の自分に、どのように影響を与えていますか?

 大きくは3つあるのですが、1つ目は、高校留学に行ったからこそ「世界をもっと見たい、もっと知りたい」という気持ちが強まり、大学で国際学科に進むことに繋がり、今のキャリアにも繋がっています。

 2つ目は右も左もわからない中で、状況を読む力とか想像力が養われました。言葉や状況がよくわからない中でも、自分の置かれている状況ややるべきことを自分なりに考えてみたり、相手の立場や言いたいことを想像したりすることができるようになったと思います。時々先読みしすぎたり、想像が全然違っていたりすることもありますが(笑)、社会人になった今、この力は結構出番があります。

 それから、留学中に私は何もできないもどかしさや、無力感を何度も抱きました。でも、最終的にはなんとかなった、というのもまた、実感できたことです。留学から帰国し、その後の30年の間には色々ありましたが、今自分はここにいて、なんとかなっています。この後の人生においてもきっと色々なことがあると思います。でも、きっとなんとかなるだろうと思っています。振り返ってみると、そういう今の自分を作っている大元が、あのフランスで過ごした1年だったのかな、と思います。


自分が納得できる道を自分で決めて欲しい

Q.留学を考えている高校生にメッセージをお願いします。

 偉そうなことは言いたくないですが、せっかくなのでこの場をお借りして・・・ このインタビューを読んでいるということは、高校留学を検討している段階だったり、少なくとも高校留学に興味があるステージにいるんだと思います。そのようなステージに立てることは当たり前のことではありません。世界にも、日本国内にも、留学の「り」の字も浮かばないような環境にいる同世代の子どもたちがたくさんいます。でも、今これを読んでいるあなたには「高校留学」という選択肢がある、ということではないでしょうか。

 その上で大事なことは「留学に行く、行かないを自分で決める」ということだと思います。自分で決めれば、その選択内容がどうであれ、その先で起こることを自分事として捉えることができて、すべて自分の糧となります。もちろんお家の人や学校の先生との相談は必要ですが、最終的には自分が納得できる道を自分で選んで欲しいな、と思います。

 最後に、高校留学に限った話ではないですが、人生は一度きりなので、自分らしく、好きなこと、楽しいと思うこと、興味のあることにどんどん挑戦して、周囲や自分自身に縛られることなく自由に生きて欲しいと願っています。ちなみにこれは、皆さんと同年代の息子を持つ私の子育て方針でもあります(笑)。



細川もなみさんプロフィール

山梨県北杜市出身

東海大学甲府高等学校(現 東海大学付属甲府高等学校)2年次の1995年夏からフランスへ留学。帰国後2年次に復学し、内部進学で東海大学教養学部国際学科(現 東海大学国際学部)に入学。2002年3月に同大学卒業後、大阪大学大学院人間科学研究科ボランティア人間科学講座(現 共生学系)修士課程入学。同課程在学中に1年間タイ・チュラロンコン大学へ交換留学。2005年3月に修士課程修了後、社会教育団体、一般企業を経て国際NGOに就職、現在に至る。




 

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