これまでに数多くの人たちが高校生交換留学プログラムに参加してきました。OB/OGたちの進路やキャリアは多岐に渡っており、それぞれの分野で活躍し、社会に貢献しています。
今回インタビューを行ったのは、1996年にアメリカ派遣プログラムに参加された奥田若菜さんです。奥田さんは神田外語大学で勤務をされています。今回奥田さんに高校時代の留学経験がどのようにその後の歩みに影響を与えたのか伺いました。

交換留学に参加しようと思ったきっかけを教えてください
何か特別な「これ」というきっかけがあったわけではありません。父親が新聞記者だったこともあり、日常的にニュースについて家族で話していましたし、大きな事件が起きると父がしばらく家に戻らないような家庭環境でしたので、テレビ等で報道されるニュースと自分の生活が地続きである感覚が幼い頃からあったように思います。
そうした中で海外に対しても自然と興味を抱くようになり、中学1年生の時にイギリスで2~3週間過ごし、最後にドイツで観光する内容の短期研修に参加をしました。楽しく研修を過ごしたものの、学んでいた英語は使えるレベルではないと痛感し、高校生になったら留学に行きたいと考えるようになりました。まだインターネットなど発達していない時代でしたが、どういったプログラムがあるのか、全て自分で探して、親にプレゼンテーションして、留学を認めてもらいました。
派遣国にアメリカを選んだ理由を教えてください
やはり中学や高校で学ぶのは英語です。他の国にも関心はありましたが、まずは高校留学でメジャーどころを抑えた上で、その後に色々な国に行きたいと思ったのが大きな理由です。
高校留学で苦労したこと・大変だったことはなんでしょうか
高校生でしたので、まだ精神的に未熟で不安定でした。それまで、自分はどこでも寝れるタイプだと思っていましたが、留学中に不眠を経験しました。何か「これ」と思い当たるような原因はなかったのですが、恐らく細かなストレスが蓄積された結果だったのだと思っています。
また、私はアイオワ州の田舎に派遣されたのですが、滞在地域は人間より家畜の方が多く、家の周りを見渡すと地平線が見え、家は3軒ほどしか見えないような場所でした。そうした地域ですので、交通の便が悪く、放課後や休日に自分で行きたいところに行くということができず、身動きが取れないような状況でした。気軽に友だちと出かけていた日本での生活との違いに戸惑ったことを覚えています。
そうした地域でしたので、学校の子たちはお互いが全員幼馴染という関係性で、そこに留学生として私が1人入っていくわけです。小さなコミュニティでしたが、その輪の中に入れてもらい、居心地よく過ごすことができました。
高校留学で一番思い出に残っていることはなんですか
他のアメリカの地域も同じだと思いますが、アイオワにおける娯楽は学校対抗のアメリカンフットボールの試合でした。日本でいうところの地域の夏祭りのような感じで、そこに行くと地元の知り合いがみんないて、きゅうりのピクルスを食べながら応援する、その一体感はなんとも言えないものがありました。そうしたことも含めたアメリカのティーンエイジャーの生活を送るということが、とても面白かったです。
もう1つ貴重な体験だったと思うのは、16歳の頃にマイノリティとして過ごす経験ができたことだと思います。特に私の滞在地域は白人社会で、ヒスパニック系の家族が1家庭だけしかいないようなコミュニティでした。そこに私というアジア人が登場したわけです。
今でも覚えていますが、街中で子どもが私を見て、びっくりして口を開けて呆然としていたことがありました。初めてアジア人を見たのだと思います。差別心からではなく、ただただ驚いているんだということがわかりました。日本にいた時は1つの同質的な世界にいたので、自分が一番異質だという経験をすることで、客観的な視点を高校生の時に得られたというのは貴重だったと思います。
帰国後の進路について
留学中の単位を認定してもらい、3年生の夏から高校に復学しました。高校留学である程度英語については力をつけたという自負がありましたから、別の言語と地域を大学で専攻することにしました。これから経済的に伸びると言われていたブラジルを焦点に、大学ではポルトガル語を学ぼうと考えました。
帰国時点から一般入試で受験するのは、ブランクがあって難しいだろうと考え、推薦入試に絞りました。そうした条件に合致したのが京都外国語大学のポルトガル語学科で、無事に合格することができました。
そして大学3年生の時にブラジルに1年留学しました。ブラジルの状況は私の想像を大きく超えるものでした。特に格差の問題は顕著で、道端で寝ている人の横には高級レストランで食事をしている人がいる、というような、あからさまな格差を目の当たりにしました。日本で生活を送る中では、そこまで見えやすい格差というのは目にしたことがなかったので衝撃を受けました。1年の留学ではブラジルを理解できないとわかり、修士課程に進むことを決めました。そして修士2年の時に日本学術振興会の特別研究員に応募したところ採択されたため、博士課程に進みブラジルの道端で物を売る人たちの研究を続けることにしました。
修士課程からは大阪大学大学院で学びました。大学院では論文を英語で読むことになりますが、高校留学で培った英語力が役に立ちました。
また、大学院研究室の院生たちは大学ですでに専門的に学び、知識が豊富でした。一方で調査するフィールドについてはこれから探し、必要となる言語についてもこれから学習する、というような人が多かった印象があります。私の場合は専門知識は十分でないものの、高校留学で英語を身に着け、大学ではポルトガル語を集中的に学ぶことができ、大学留学でブラジルにおける格差問題という研究テーマを見つけていました。その点では、調査研究を始める準備ができていたと思います。
現在のお仕事について教えてください
博士課程の終盤に神田外語大学でちょうど公募があり、採用してもらって15年が経ちました。ポルトガル語や「ブラジルの宗教・社会」「文化人類学」などの授業を担当しながら、文化人類学のゼミも持っています。
自分自身の研究も続けています。家族もいるので長期間のブラジルでのフィールドワークは難しいので、最大で2週間程度とはなりますが、今でも毎年のように訪れ、現地の人たちと繋がりを持ち続けています。
そうした研究の成果として、いくつか本を出版しています。ブラジルの路上商人の民族誌として『貧困と連帯の人類学‐ブラジルの路上市場における一方的贈与』(春風社)を2017年に出しました。また、高校生や大学生が格差を考えるための入門書として『格差社会考‐ブラジルの貧困問題から考える公正な社会』(神田外語大学出版局)を2021年に出しています。
高校留学の経験は今の自分に、どのように影響を与えていると思いますか
日本でずっと過ごしていると、自分の持っている常識を相手も持っていて、「当たり前」を共有しているので大体のことは理解してもらえる心地よさがあります。ところが、海外の人とコミュニケーションを取ると、言葉の壁があることはもちろんですが、言語を完璧に使いこなせても理解し合えないことがあります。それは、それぞれが持つ価値観や常識、「当たり前」が違うからです。
そうした場面に遭遇した際に、きちんと説明をしてみよう、という立ち位置に立てるのは、高校留学を通じて頭で理解したというよりは、体験として腑に落ちたことが大きいと思います。
それから、高校留学も大学留学も大変というか、大変すぎました。授業はまったく聞き取れませんでしたし、みんなが笑っているポイントで自分だけ笑えない経験もしました。あんなに必死に過ごした時間があると、その後のことは踏ん張れるようになるものです。

留学を考えている高校生へのメッセージをお願いします
今、私は大学で学生を留学に送り出す立場となりました。数多くの学生を見てきましたが、留学をしなかった子が「留学しておけばよかった」と言うことはあっても、留学した子が「留学しなければよかった」と言うことはありません。私自身の経験からも言えることですが、留学で得られるものは、自分が留学前に想像するよりも多いです。なので、迷っているのであればぜひ行って欲しいです。
そして、なるべく若いうちにマイノリティになる経験を積んで欲しいと思っています。マイノリティというのはその社会における弱者です。マイノリティになる経験をしておくと、社会的に弱い立場の人の視点からどう見えるか、ということがわかるようになり、その後の人生を生きる上で想像力を豊かにすると思います。
今は情報が溢れている時代です。だからこそ、自分の目で見ることは大事だと思うので、ぜひ留学に行って欲しいです。
また、今日本で生活する中で、「こうするべき」「こうあるべき」という規範やルールに息苦しく感じているのであれば、やっぱり留学に行って欲しいです。もちろん海外にもそういう規範やルールは存在します。それでも、「自分で選んでいいんだ」と思えるようになると思うので、息苦しさが軽くなるのではと思います。
自分の生活がすべてうまくいってる、と思っている人も留学に行って欲しいです。一回、周りの助けがないとバスにも乗れないという体験をしてみることや、挫折を味わうことは大切なことです。
振り返ってみると、高校留学はそれまでの人生の縮図のような時間だったと思います。何もできない赤ちゃんのような状況から、周りに助けてもらいながら少しずつ成長をしていって、帰国するころには現地の高校生くらいになる。そうした自分の変化や成長を体験してきてもらいたいですね。
奥田若菜さんプロフィール
福井県出身 関西圏の複数都市にて育つ。
京都府立南陽高等学校 2 年時 1996 年夏よりアメリカに留学。帰国後 3 年次に復学し、京都外国語大学ブラジルポルトガル語学科に進学。大阪大学大学院人間科学研究科(文化人類学)にて修士号、博士号取得。2009 年神田外語大学に着任後、講師、准教授を経て2024 年より外国語学部イベロアメリカ言語学科ブラジル・ポルトガル語専攻教授。

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