2017年夏からEIL高校生交換留学フィリピン派遣プログラムに参加していたS・Aさん。
日本から出たからこそわかる日本の良さにも気づくことが多かったそうです。同じアジアでながら日本とは全く異なる生活の様子を書いてくれました。ぜひお楽しみください!
フィリピンでの留学を終えて
私が留学していたフィリピン共和国パラワン島は、首都であるマニラがあるルソン島の南西に位置しており、季節は夏しかなく6月くらいから約1ヶ月の雨季があるところです。フィリピンの公用語は英語とタガログ語です。フィリピン人の国民の特徴として明るい性格の人が多いので、友達を作る面ではそんなに困ることはありませんでした。
私のホストスクールでは英語とタガログ語(主にタガログ語)の2カ国語を使っていました。学校生活で1番苦労したのは授業で、先生たちがタガログ語で授業をした時には友達に英訳を手伝ってもらっていました。学校の友達は私のためにタガログ語と英語を混ぜた、"Taglish"を話してくれていました。学校行事が盛んで、文化祭や"Araw ng wika"という伝統を祝う日などを通して友達を増やし、フィリピンの伝統について学びました。
ホストファミリーは両親とも忙しい人で、特にマザーは医者だったので家族交流の時間を取るのが難しかったです。しかし、毎週日曜日は教会に行ってお祈りした後に一緒にご飯を食べるなど、なるべく家族と過ごす時間を大切にしていました。
学校生活で始めの頃は言葉の壁を感じていましたが、自分から積極的に話しかけるなどして友達を増やしました。フィリピンの文化と日本の文化をシェアしあい、お互いの文化の似ているところや違うところを楽しく話し合いました。フィリピン人は情に熱い人たちが多く、私が困っている時や悩んでいるときは何度も親身になって助けてくれました。やはり留学中、辛いこともありましたが、現地の友達とホストの存在のお陰で苦難を乗り越えることができました。日本人としての価値観と、フィリピン人の価値観の違いにギャップを感じることも多々ありましたが、それを拒絶することをせず友達やホストファミリーに質問したりしました。
フィリピンは発展途上国ということもあり、放課後に友達と学校の外に出た時に、5~7歳くらいの男の子達が私にお金を頂戴、と言ってきたことがありました。フィリピンの貧困問題にリアルに直面したのはその時が初めてでとてもショックを受け、また何もできない自分の非力さに悔しさを感じたのを覚えています。
フィリピンに留学して良かったことは、日本で自分がいかに恵まれた環境で暮らせているか実感できたことだと思っています。その日1日の生計を立てるので精一杯、明日の保証がどこにもないという人たちを沢山見てきました。また、性犯罪、貧困、教育レベルの低さなどを目の当たりにして同じアジアなのに、どうしてこんなにも差がでるのかと疑問を持ち、倫理観や自分にできることについてとても考えさせられました。そして、今"私たち"の世代がこれからの世代のために動き出さないといけないと思いました。
私は、沖縄県出身なのですが、現地での沖縄の知名度は低かったです。しかし、旅行で行ったことある人が居ました、日本と聞くと東京のイメージを抱いている人が多く、沖縄との違いを説明するのが難しかったです。また、沖縄出身と言っても、"日本から来た留学生"なので沖縄についてはあまり聞かれず、日本人と沖縄人のどちらとして話を続けるのか迷ったりもしました。私は大学で、発展途上国の問題点とその解決策、そして沖縄について学びたいと思っています。沖縄という存在をアジア、世界中に発信していきたいです。そしてこの留学で私が見てきた、経験してきたものをいつかどんな形であれフィリピンに還元したいと思っています。
(写真、文:2017年フィリピン派遣生 S・A)
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