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【高校生交換留学体験談】門脇永昌さん(南アフリカ派遣)第4回

更新日:2023年6月27日

 2022年EIL高校生交換留学プログラム 南アフリカ派遣生の門脇永昌さん。今回、ご自身の体験を広くシェアしたいと、レポートを定期的に書いてくれることになりました。


 第4回は、アパルトヘイトや、門脇さん自身が南アフリカで生活して感じていることを書いてくれました。ぜひお楽しみください!

 

 こんにちは。昨年の7月から南アフリカに派遣されている門脇永昌です。秋になり段々と日没も早くなり、季節の変わり目を感じている毎日です。さて私が南アフリカへ留学を決めた理由の1つとして様々な人種がいるということがあります。多様性がある場所にいることは色々な価値観や考えを学べる機会であると私は捉えています。実際に私の学校には白人、黒人、カラード(インド系、アジア系も含む)、友人にはカナダ人やナイジェリア系の生徒もいます。日本の単一民族の社会では体験できない貴重な経験をしています。しかしこれほど多くの価値観があると人種間で差別や偏見が起こってしまう場合もあります。ご存じの方も多いかもしれませんが南アフリカでは20世紀までアパルトヘイトという人種隔離政策が行われていました。前置きが長くなってしまいましたが、今回は南アフリカの悲惨な歴史と現在について私が現地で肌で感じたことを伝えます。


アパルトヘイトについて

 アパルトヘイトは1948年から1994年までの長期間にわたって実施されていた人種隔離政策のことです。この政策は人種による社会階層の確立と白人の優位な地位を維持するために有色人種(黒人、カラード、アジア人)に対して社会的な差別措置が取られました。カラードとは主に南アフリカがオランダやイギリスに侵略されたときに入ってきた白人系移民と元々住んでいたコイ、サン族の人々の間に生まれた混血人種の人々のことを指します。特に黒人は公共の場や交通機関、教育、職業などにおいて白人とは別に扱われ政治的な権利も制限されていました。私が周りの人から聞いた話によると公園やビーチが白人専用と非白人専用とで分けられていたり、住んでいる地域でさえ白人、カラード、黒人に強制的に分けられていました。その名残ともいえるかもしれませんがケープタウンの各地域の名前は英語、アフリカーンス語(主にカラードが話す)、コーサ語(主に黒人が話す)がベースとなっています。


黄色は黒人が住んでいたエリア/赤はカラードが住んでいたエリア/青は白人が住んでいたエリア

 また非白人にはIDの携帯が必須とされ州をまたぐ移動でさえこれを見せることが条件とされていたそうです。このように非白人は普段の生活の中で様々な障壁がありました。不平等な社会に不満を持つ人も大勢いましたがアパルトヘイトを廃止しようと政府に訴えかけても彼らは選挙権を制限されていたので当然この状態は続きます。しかし約50年間もの人々の苦痛がある1人の男の手によって終わりを告げます。彼の名前はネルソン・マンデラ。彼はアパルトヘイト撤廃のために闘い続け、1994年に南アフリカの初代黒人大統領に選出されました。彼はアパルトヘイト撤廃を達成し、人種を超えた、人々のヒーローになりました。彼の死後も本当に国民全員が彼を尊敬しています。皆が彼を「Mr.Mandela」と呼び、敬っています。それほど彼の残した影響力は偉大だったのでしょう。

 

現在の南アフリカの姿

 話を現在に移しますが、現在南アフリカでは人種差別は存在しないと考えて良いでしょう。しかしあくまでこれは私がこの8か月間、南アフリカを見てきた私の感想です。数十年前まで行われていた南アフリカの悲惨な歴史は過去の大きな過ちとして語り継がれています。実際に歴史の授業ではほぼ毎年視点を変えてアパルトヘイトのことについて学んでいます。去年は1950年代のアパルトヘイトに対する反対運動とアパルトヘイト下の黒人教育について学びました。私が歴史の授業の中で1番驚いたのはアメリカがアパルトヘイト政権を支援していたことです。なぜならアメリカは冷戦下でアフリカにおける共産主義との闘いにおいて南アフリカを同盟国として見ていたからです。そのためアメリカはアパルトヘイト政権に経済・軍事的な支援をし、支えていました。日本はその頃公式的にアパルトヘイト政策を非難していたにも関わらず同盟国であるアメリカがアパルトヘイトに加担していたことに驚きました。

 人種差別的なくくりで言うとアメリカの人種差別法や公民権運動についてかなり詳しく学びます。他の国の人種差別政策を学ぶことによって過去の過ちを反芻しているのではないかと私は解釈しています。歴史が語り継がれる一方、アパルトヘイトを知らない若い世代の人々も増えています。これはアパルトヘイトの名残かは分かりませんが友人との会話の中でghettoという言葉を耳にします。Ghettoという言葉自体は「貧困街、貧相な」という意味を持っています。例えばあの地域はghettoだとかあのレストランを使うのはghettoのやることだとかそういう事が話題になることもあります。日本では貧困というトピックについて会話になることが少なく、それ自体が新しいというか半分ジョークだとしても私にとっては居心地の良い会話ではありません。なぜなら貧困層の人を少しからかい、侮辱しているような気がするからです。やはり現在の南アフリカの問題として人種間または同人種の中での経済的格差そして中間層、富裕層の貧困層への優位的な(差別的とも言える)意識があります。この問題の逆風となるように失業者の割合は年々高くなってきています。私は8か月間暮らしてきましたが南アフリカは食べ物もおいしく、人も温かいとても良い国で私も大好きです。それゆえ誰もが平等で安心して共存できる国を作ってほしいと思います。


ロベン島訪問

 昨年の12月にロベン島を訪問しました。ネルソン・マンデラは1962年に逮捕され、約27年間もの長い間ロベン島で過ごしました。この島へはケープタウンの港から片道30分くらいで行くことができます。そして島内を案内してくれたのは実際にロベン島の刑務所に投獄されていた方でした。刑務所には何重もの、ワイヤーでできた柵やいくつもの見張り台がありました。ガイドの方によると何人かはそこを突破した受刑者もいたそうですが、その後警備員に見つかり、問答無用で銃で殺されたそうです。島自体も海の孤島で泳いで逃げることさえ近辺の海域にはサメがいるため不可能です。受刑者たちが暮らしていた部屋はこのような部屋で自分のスペースは人ひとり寝ることができる範囲しかなかったそうです。食事も固いパンとスープなどで十分な量を与えられず、家族と手紙で連絡を取ることさえ制限されていました。また刑務所では砕石や石灰石の採掘などの重労働もあり体を悪くする人は少なくなかったそうです。マンデラはこれにより目を悪くしてしまいました。マンデラはこのような環境下でも諦めず、自問自答してアパルトヘイト政府との対話の仕方を模索していたと考えるととても精神力が強い人だと思いました。この訪問を通して不可能だと思われていることを可能にしたネルソン・マンデラのアイデンティティーを垣間見えた気がしました。




日本人、アジア人として

 南アフリカではアジア人を見かけることはあまりありません。学校には数人アジア系の生徒がいるくらいです。またコロナ禍ということもあり、私は渡航するまで新型コロナウイルスによるアジア人に対するヘイトクライムが心配でした。結果としては私が人種差別を受けたことはほとんどありません。子供などから視線を感じるときはたまにありますが、それは私がアジア人という珍しい存在だからでしょう。むしろ私を見つけて笑顔で挨拶をしてくれる人や話しかけてくれる人もいます。やはり様々な人種や文化が存在する南アフリカだからこそ他文化を拒絶せず、受け入れられるのでしょう。ただ私が唯一不快に思う点があります。それはアジア人=中国人のようなテンプレがあるということです。心の中で人を見た目で決めつけるのは気にしませんがそれを私に口に出して伝えるのは気持ちの良いことではありません。留学当初、私は中国語で話しかけられたりした時に笑って流していたのですが、最近は自分のことを知ってもらおうと「私は日本人だよ」と言うようにしています。話は少し逸れますがこちらに来てから日本人として誇らしいことがありました。ホストファミリーの親戚と会った時に私が日本出身だということを伝えると日本人が2010年のサッカーW杯で試合後にゴミ拾いをしていたところを見て日本人は礼儀良くて、すごいねと言われました。12年も前の日本人の1つの善行が多くの南アフリカ人の目に留まっていて日本人のイメージアップに寄与していることに私は少し感動しました。私もこれからは先人たちに見習って少しでも誰かのためになるようなことをしていきたいです。


最後に

 今回はすこし重い話でしたがここまで南アフリカの人種的な側面を話してきました。もう1度言いますがこれはあくまで私が見た南アフリカの姿として捉えてほしいです。個人個人で物の見方は違いますし、たくさんの見方があっていいと思います。大事なのは自分以外の考えを否定せず、すべてを受け入れようとは言いませんがそれらを少しでも理解しようとする姿勢を示すことではないでしょうか。そうすることによってすべての人にとって過ごしやすい世界が出来上がると私は考えています。あと留学生活も残り3ヶ月となり自分がやりたいことをすべてやりきって悔いの残らないように頑張ります!



(文章・写真 2022年南アフリカ派遣 門脇永昌さん)

 

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