2023年7月よりEIL高校生交換留学アメリカ派遣プログラムに参加していた大原 杜宇太さん。今回、ご自身の留学体験を振り返ってレポートを書いてくださいました。
出発時の様子から、現地事前研修やホストファミリーとの生活、留学を通して得たものなど多岐にわたって紹介してくれました。ぜひお楽しみください!
僕は2023年7月から2024年6月まで、アメリカでの交換留学を経験しました。留学ではなく「交換留学」であったからこその僕の奮闘と格闘を、読者の皆さんと少しシェアしたいと思います。
まず、交換留学を志すに至った経緯についてです。私は中学生の頃までこれといって自負できる特技がなく、劣等感を抱いていました。中学に入学して隣の席の好きな子に「英語、得意なんだね」と言われてから英語学習に精を出してきたわけですが、どうやらこれが僕の特技であるらしいと気が付き、以来自分の特技として大切に磨いてきました。そのうち自分の英語学習に意味づけがしたくなり、自分の言語力と社会に貢献したいという情熱とを結びつけたところ、交換留学という結論に至りました。安直な考えだと思われるかもしれませんが、未来の自分のビジョンを完全に思い描き準備万端であった僕にとって、行く必要はあるのか、デメリットは何か、と考える必要は一切ないと思えるほど、交換留学に行くということが自明の理であるように感じたのです。涙ながらに家族と別れ、生まれて初めて飛行機に乗った僕ですが、心の内ではリードが外された犬のようでした。最初に降り立ったのはシアトル、そして乗り継ぎを経てコロラド州に着きました。現地研修の始まりです。
コロラド州での3週間は、発見と学びで溢れていました。飛行機の欠航に見舞われ、テンポラリー・ホストファミリーに対面できたのは予定より1日遅い、日付を回ってからのことでしたが、Herman家の人々はとても温かく出迎えてくださり、Mrs. Hermanはお腹が空いているだろうとチーズとクラッカーを用意してくれました。幸先の良い始まりではありませんでしたが、Herman家で過ごした3週間は僕の人生で1番濃密な時間でした。Lair o’ the Bear Trailheadでアメリカの自然を探検して癒され、Denver Art Museumでアメリカの美術を鑑賞して感心し、ホストファミリーの好きな食べ物を一緒に食べてお腹いっぱいになり、ホストブラザーのAndrewが出演する劇を鑑賞して実の兄かのように感動し、観光名所のRed Rocksでその雄大さに圧倒され、Mrs. Hermanに料理を教えてもらい、みんなでマーベル映画を見て自分も家族の一員かのように感じ、パズルをして語らい合って自分たちの中に芽生える絆の片鱗を見ました。それぞれの思い出の中に発見と学びがあり、それが今の自分につながっていると感じています。現地研修の終わりに差し掛かったある日、Mr. Hermanに、「君が上手に英語を喋れて本当に良かったよ。よりたくさんの、より深いことを教えてあげられるし、君からも日本について多くを学べるからね。」と言われました。自分が無我夢中に英語学習を頑張ってきたことの意味づけが、その一瞬でなされたように感じました。最後の夜、チーズとクラッカーを食べて寝て、早朝の飛行機で、その後10ヶ月過ごすことになるメイン州に向かいました。純粋に楽しかった留学はここまでで、ここからは奮闘と格闘の日々になります。ここからは4つのテーマに分けて僕の体験をシェアしたいと思います。
ホストファミリーとの生活から得たもの
メイン州についてからの数日は、自分にとっては辛いものでした。ホストファミリーのDumond家は温かく迎え入れてくださったものの、皆忙しかったため僕に割いてくれる時間はあまりなく、また彼らが交換留学生を受け入れることに慣れていたためか大きな壁を感じたのを覚えています。この時、デンマークからのダブルプレースメント(事務局注:別の留学生と同じホストファミリー宅に滞在すること)の生徒であるMadsを待ち侘びていたのはそのためだと思います。彼が来てからの毎日は全く違うものとなりました。
ホストファミリーと信頼関係を構築するにあたり、僕が最初に心がけたのは家事の手伝いを積極的に行うことでした。特に、料理を手伝ったり、食器を洗ったりなど、自分が思いつくことは何でも行いました。そのうちホストマザーのMrs. Dumondがいない日は料理を任されるようになり、彼女が疲れた日にはキッチンの後片付けをするようになりました。ホストファーザーのMr. Dumondは牧師で、Thanksgiving Dayには教会で地域の皆さんに無償で料理を提供しました。その際もキッチンで調理や後片付けを手伝い、砂糖の入った巨大な瓶を割ったりもしましたが、それでも崩れない確固たる信頼関係を築いたのは努力の証だと言えると思います。ホストブラザーのBillyとHunterは年が近いこともあり友達のような関係性を築くことができました。Billyと僕は趣味が全く異なり最初は打ち解けることに苦戦しましたが、Madsは率先して仲立ちをしてくれ、最終的にはみんなでサイクリングに行くという共通の趣味を見つけることができました。メイン州の自然は雄大で、僕が住んだ街Augustaを縦断するKennebec Riverに沿って自転車を漕ぎ進めるときの、あの圧倒的な感覚は、言葉にできないものでした。
Mr. Dumondが牧師であると先述しましたが、彼は毎週日曜日に彼の教会で説教するので、僕は毎週、教会に通い続けました。僕は個人的にはキリスト教徒ではないため、最初の数回は教会にカルト的なものを感じていました。礼拝者の方々は、献金をして、讃美歌を歌い、説教に涙していました。しかし教会に通ううちに、教会がコミュニティで担っている重要な役割に気がつきました。人々は教会に、人生について学びに、そして人生における苦難への救済を求めて通っていました。一番心に残っているメッセージは、「神様はあなたに仕返しをする権利を与えてはいない」というものでした。他者を許す心の大切さを学びました。
共通言語としての音楽
メイン州での生活にはいつも音楽がありました。私は長く吹奏楽部に所属しておりConcert Bandの授業では、音楽を通じてたくさんの人と仲を深めました。バスケットボールやアメリカンフットボールの試合で演奏したり、学校でのコンサート、文化祭などでも演奏したりしました。さらにJazz Bandにも参加してアメリカの風土に根付いた音楽を探求しました。District III Music Festival、Maine All-state Music Festivalを含む、数々の音楽イベントに参加し、時には地域の老人ホームや学校でパフォーマンスすることもありました。それらの活動を通じてたくさんの人々と関わり、多くの文化交流を経験することができました。また、11月には文化交流イベントで安全地帯の「夏の終わりのハーモニー」を弾き語りしました。
挑戦の日々
留学中は常に、日本の看板を背負っているという緊張感がありました。そして同時に、お金がかかっている留学から最大限の学びを得なければいけないという責任感もある。これらの状況は常に、新しいことに挑戦し続けるエンジンとなりました。最初の挑戦としてクロスカントリーを選びました。アメリカの野山での長距離走です。留学前は持久走が大の苦手で、運動に対して苦手意識を持っていました。始めたばかりの頃は練習の10分間走に苦戦していましたが、最終的には30分間走や1時間走もこなせるようになりました。しかし、やはり長距離走は辛いものでしたが、レース中にどうやってか至る所に現れるコーチ(アメリカ史の先生)やチームメートに励まされながらゴールを目指しました。レース後の達成感は、言葉にし難いものでした。
それ以降、この時の経験を安全基地にさまざまな課題を乗り越えていきました。自分はおとなしい系男子だったので、イケイケ系のBillyとMadsと仲良くなるために自分をいじられキャラで通してしまい、いじめられ気味になってしまった時がありました。やめて欲しいと訴えたこともありましたが、最終的には自分もイケイケ系に変身して対応しました。幸運なことに、このような環境適応能力を育む機会は留学中多くあり、6月に行われた表彰式では、ジャズバンドで最も優秀な生徒として表彰され、「見事に自分をこのコミュニティに馴染ませた」と評価されました。
文化交流
自分が留学前に想定していたのは、アメリカと日本の文化交流の一端を担うということでした。しかし蓋を開けてみると、現地には他の留学生もたくさんいて、彼らからは多くの学びを得ることができました。デンマーク、ルーマニア、ウズベキスタン、キルギスタン、タジキスタン、カザフスタン、イタリア、フランス、スペイン、リビア、ウクライナ、ジョージア、モルドバ、アルバニアなど、多くの友人を作り、多くを学び、多くを教えました。先述した文化交流イベントでは、各生徒が自国の文化について紹介するボードを作り、ルーマニアの伝統的なダンスを踊ったり、ウズベキスタンの料理を食べたり、デンマークのお菓子を食べたりしました。また、彼らとはBostonやPlymouth(アメリカ2番目のイギリス人入植地)への旅を通じて仲を深めました。
以上が僕のアメリカ留学体験談となります。さまざまことを紹介しましたが、ここに書いたことが、僕が見て聞き感じたことの1割にも満たないほど、留学は壮大な冒険であるということを心に留めていただきたいと思います。11ヶ月という長い月日は、自分が思っていた以上に長いもので、思った以上に深い学びをもたらしてくれました。16世紀を代表するフランスの哲学者モンテーニュは異国を訪れることの意義を、「国民の人情や風俗を見てくるため、我々の頭脳を他の国民のそれとこすりあわせながら磨き上げる」ことだとしました。この体験談が、留学を検討している読者の方にとって、その意義を実感するための留学を勇断するきっかけになればいいなと思います。
(写真、文:2023年度アメリカ派遣生 大原 杜宇太)
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