2023年にEIL高校生交換留学オーストラリア派遣プログラムに参加していた阿部遼さん。今回、ご自身の留学体験を多くの方と共有したいと、レポートを書いてくれました。
ご自身の留学生活を振り返っての経験談を書いてくれました。ぜひお楽しみください!
オーストラリアでの生活
私はオーストラリアのセントラルコーストという、海に近いところに10 か月間ホームステイしていました。ホストファミリーは、ホストマザー、ホストファザー、15 歳のホストシスター、13 歳のホストブラザーの4人と、可愛いゴールデンレトリバーでした。
ホストファミリーの家から海は車で10 分ほどの距離で、5 箇所以上のビーチがありました。私の日本の家族は山派なので普段海には行かないのですが、オーストラリアで過ごしているうちに海派に乗り換えてしまいました。
留学中1 番の思い出は、クルーズ旅行です。8日間のクルーズで、ファミリーにニューカレドニアとバヌアツに連れて行ってもらいました。船は13階建てで、プールやレストランの他にも、ランニングトラック、パフォーマンス用のステージ、ヘアサロン・・・などなどこんなものが船の中にあるんだ!?と思わず巡ってみたくなる設備が沢山あり驚きました。移動中は船を満喫しましたが、上陸した島々の自然の豊かさにも感動しました。ニューカレドニアではフランス語が話されているので、言葉の壁を感じながらも互いの気持ちを伝えようとする経験を通して英語を学ぶ意義を考えさせられました。
ホストスクール
オーストラリアでは、日本の高校で柔道部に所属していることもあり現地の柔道クラブに所属して毎週木曜日に稽古をしていました。ホストマザーかホストファザーが毎週車で道場まで送ってくれました。私のために時間を使ってくれたことに今でも感謝しています。稽古では日本スタイルの柔道、オーストラリアスタイルの柔道を教え合い、日本発祥の競技を介した良い文化交流になりました。
学校生活は留学開始3か月後くらいから徐々に慣れていきました。ホストスクールは、家から車で10分弱で毎日8時20分頃に家を出ていました。学校がホストマザーが職場に行く道の途中に位置していたため、ホストマザーがホストシスター、ホストブラザー、私の3人を毎朝学校まで送ってくれていました。ホストスクールは非常に自由な校風で、私がいた11年生は必修科目が英語しかなくあとは選択科目でした。クラスメイトが受けている英語の授業は非常にレベルが高かったため早々に断念してしまいましたが、代わりにネイティブ向けではない英語の授業に参加させてもらい、フィリピンの友達がたくさんできました。彼らは留学生ではなく、オーストラリアに家族と住んでいました。
私は英語の他に、化学、数学、美術、音楽、日本語をとっていました。オーストラリアは日本語教育が盛んで、多くの中学校、高校で日本語の授業があります。私の学校は日本語の先生がオーストラリアの方だったこともあって、登校初日に早速日本語の授業の手伝いを先生から直接お願いされ授業に参加する流れになりました。日本語は選択科目なだけあって、生徒は皆日本のアニメが好きでした。好きなアニメは何かと何回も聞かれたのですが、私は日本でアニメをあまり見なかったので、ドラえもんとしか答えられず少し後悔しています。もちろんドラえもんも知名度は高いのですが、留学前に海外人気のあるアニメをある程度予習しておくべきだったと思いました。私の学校では、鬼滅の刃、ワンピースなどが人気でした。友だちともっとアニメの話をしたい!と思って、友達に勧められた呪術廻戦を現地にいる間に頑張って全部観ました(もちろん英語で)が、どうやら海外では日本の声優も人気があり、アニメ好きは日本語音声+英語字幕で観るそうです。
美術の授業は、その他の授業と顔ぶれが全く異なり、1 番クラスに馴染むのに苦労しました。自分からクラスメイトに話しかけることができないでいたところ、4 人の生徒が話しかけに来てくれ、とても仲良くなりました。遠足でもその 4 人と一緒にオーストラリアの回転寿司レストランに行って、ずっと一緒に行動したことが思い出です。4 人とは今も連絡をとっています。留学中は友だち作りに不安を抱えがちですが、ちょっとしたきっかけでも仲良くなれるんだという自信を得ることができたと思います。また、授業では特に鉛筆画に興味を持ち、先生にマンツーマンで教わる機会がありました。私の学校では他の科目で宿題が全く出なかったため、放課後はほとんど鉛筆画の勉強にのめり込みました。その成果もあってか、セントラルコーストの高校生向けのコンクールで入賞し、アートギャラリーに展示されました。作品の提出が帰国ギリギリだったこともあって、通知は日本に帰国したあとだったのですが、美術の先生やホストファミリー、一緒に入賞した友だちからもメッセージを貰いとても嬉しかったです。
音楽の授業では演奏と作曲を学びました。ホストスクールは毎週水曜日に全校集会があり、毎回生徒のうち誰かがパフォーマンスをするという伝統がありました。先生に勧められて、私と友だちと2 人でピアノとヴァイオリンの演奏を披露しました。日本の学校でも人前に立って何かを披露するということは緊張するのに、今思えば大分勇気を出したなと思いますが、このように少し背伸びすることが帰国後に留学の経験値として現在進行形で大きな役割を果たしているように思います。
余談ですが私の学校では美術や音楽をとっている生徒と、化学や日本語をとっている生徒は同じ学年でも全く別のメンバーだったということもあってか、美術や音楽の授業のメンバーの左利き率が圧倒的でした。留学前に、日本は海外に比べて左利きが少ないと聞いたので、実際にはどうなのかとても気になっていました。私も左利きなので、初めて多数派になったのが新鮮でした。
学校では楽しい思い出もありましたが、苦労もありました。私は年齢的に本来ならば 11 年生だったのですが、何故か元々10 年生に入ることになっていました。先生から11 年生は大学受験の準備があるからあまり留学生向けではないと言われ、納得して10 年生で過ごしていたのですが、10 年生で過ごすうちに、強烈なカルチャーショックを受けたことを覚えています。学校のトイレは生徒が電子タバコを吸ってしまっており使えず、何人かの生徒は学校のトイレを使えず家まで我慢していたり、無理を言って教員用のトイレを使っている生徒もいたりしました。また、教員が不足しており授業があるにも関わらず先生が辞めてしまい、美術の授業に数学の先生が代わりで入る、などと言うことが度々あり教育現場の崩壊も目の当たりにしました。
そのため精神的にも辛い日々を過ごしていましたが、幸いお世話になっていた日本語の先生が1つ上の学年への移動を提案してくださって、スムーズに 11 年生に移動することができました。
移動後、先述の通り 11 年生でとても充実した学校生活を送ることができました。友だちがたくさんでき、登校最終日には日本語の授業の友だち、先生と学校の備品の浴衣を着て記念撮影をしました。
オーストラリアでの 10 か月のホームステイは、私にとってかけがえのない経験となりました。言葉の壁を超えて、互いを尊重し合い、友情を深めることができたことは、残りの高校生活だけでなく、大学生、社会人になっても大切にしていこうと思っています。
(写真、文:2023年オーストラリア派遣生 阿部遼)
EIL高校生交換留学プログラムでは、派遣生を募集しています。
プログラムの詳細・資料請求・説明会申込はこちらから!